・・
最近よく思う事がある
それは、
・・バイク乗ってるのって
オジジばかりだな・・
などと、
ツーリング先の休憩パーキングなどでよく思う
(この私もおもいっきりオジジなのだが)
たまに、おやっ けっこう若いのが乗っておるな
なーんて思うと
旧車会 の皆さんだったりする
旧車会の方はこのブログを見てないと思うので
言わせてもらう
(見てたらゴメンなさい、どこかで会ってもいじめないで・・)
なんですか?・・
昭和は終わり、もう21世紀ですぞ
と 言いたい
あの改造は歌舞伎や能とおなじく
脈々と伝わる日本人の伝統芸能なのだろうか?
しかも、基本路線は継承しながらも、
更に
進化しているあのロケットカウル
普通、カウルというものは、風避や空気抵抗の削減の為なのだが、
あれはどう見ても逆効果、中にはただの日避けにしか見えない車体もある
そして、あの、高さを競いあうような3段シート・・
「おいおい、そんなの俺らの勝手だろ」 と反論されそうだ
ええ、旧車自体はいいでしょう
百歩譲って、改造も、まあ、いいとしよう
しかし、なんで、集団で走るのですか?
私はハテナマークでいっぱいですぞ
先日、こんな事があった
私は天気のいい休日、
愛車2号機TDMに乗ってぷらりと海岸線を走ったりする
その海岸通りで、
たまに旧車会の方達に遭遇する事がある
今も昔も、海岸沿いの国道は
暴走銀座なのだ
とある日曜日、私が交差点で信号待ちをしてると、後方から
爆音集団がやってくるではないか
そう、旧車会の皆さんだった (実話です)
彼らは、昔の暴走族と違って信号はちゃんと止まる
私の背後に集団がつくような格好となった
ミラーで確認すると十数台の集団だ
どのバイクもど派手にドレスアップをしている
中には、バイクもウェアもピンクづくめの女性ライダーの姿も確認できた
風防に貼ってある「○○連合」のステッカー
・・おいおい、タイムスリップしてきたんかいな、じょーだんはよし子さんだわい・・
などと思いながら冷やかな目で見ていた
信号が青に変わった
皆が一斉にアクセルを開ける
ふぉおおん、ふぉ~~おおん
青空をつんざく
爆音
必然的に私が集団の先頭を走る形となった
すると、歩道にいたおばちゃんが、
何かみょーちくりんな物を見るような眼差しで私に視線を送る。
そう、バイクに興味のないおばちゃんにとっては私も同じ仲間に見えるのだろう
・・おいおい、違うぞ、わしは違うんだよ
正当派ライダー ですぞよ
と心の中で否定しながら、
暫く、ランデブーが続いた
自慢ではないが、
私は被害妄想の強い男、そしてハートは チキン・・
急にこんな妄想が湧いてきた
・・もしや私の背後の集団が
「なんすか? 前のバイク、見たことねえ珍車っすね なんすかあれ?」
「知らねえな、けど・・なんかムカつくなあ、 シメとくか」
「やっちゃえ、やっちゃえ、あたいらの前を走るなんて百万年はえーっだよ!」
そんな会話をしているのではないか、
という
不安が込み上げてきた
・・なんか嫌だな
と思い、私はスロットルを回し、スピードを上げた
すると後方集団もスピードを上げ、爆音響かせピタリとついてくるではないか
中にはくねくねと蛇行運転をしている輩もいる
・・あおられている?、こ、これは いかん
心に灯る危険信号
前方に交差点が見えてきた
本来自宅に戻るには直進だが、私は咄嗟にウィンカーを左に出し、その交差点を左折した
身に迫る危険を回避したかったからだ
すると、な、なんと後方集団も左折してくるではないか
・・や、やっぱり、わしが標的なのか?
(たぶん、ただたんに、同じ方向に行く予定だったのだろう)
・・わ、わしは安月給で働く うだつの上がらんサラリーマン、
善良な市民だぞ、なんの恨みがあるんだ? やめてけれ!
と心の中で叫ぶが、後方集団は爆音を轟かせ、ついてくる
狩られてたまるか、よーし、こうなったらぶっちぎってやる、
30年以上前のヨンヒャクについてこれるか、おりゃああ~!!
とアクセルを
全開
850cc ツインカム5バルブが唸りを上げ、
270度クランクのトラクションが路面に伝わり、蹴るように加速していく
あっという間にスピードメーターの針は法廷速度の倍数を指した
警察に捕まっても、緊急避難ですよ、と言い訳できるだろう
(無理でしょ・・)
後方集団は豆粒のように小さくなり、やがて私の視角から消えていった
してやったりだわい
(なにあのオッサン飛ばしてんだ、危ねえな、と思われたかもしれない)
無事、自宅に戻り
「頼もしい相棒だぜ、おまえは・・」
と愛機TDMにねぎらいの言葉をかけるも
それと同時にふと思う事があった
それは、
あのバイク1台でこのTDM がいったい何台買えることやら・・
そんな事をふと思った
だってあのすごい改造、えらい金かけてると思う
そして、金銀パールラメ塗装
そもそも、旧車自体が高価だ
私の青春期、十万以下で(中古)取引されてたバイクが希少価値もあってか、どえらい高値で売られている
そもそも、なんでわざわざ古いバイク引っ張り出して乗るのか・・
今のバイクに魅力を感じないのだろうか?
今はバイクの選択肢が
「限りなく多いな」と思う
ツアラー、ネイキッド、アメリカン、スーパースポーツ、ビックオフ、デュアルパーパスにストリート、スクーター etc
しかも様々な購入ルートがあり、国内メーカーだけでなく、海外メーカーのバイクも選択の範囲内
オークションもあるし
実に 多種多様
いい時代ですよ・・
なのに今、国内でバイクは売れないという
昔話が多くなると
おじじの
証
だと思うが
ちょっと
昔話してもいいですか
前に少し触れたのだが
私のモーターサイクルヒストリー その記念すべき一台目は
スズキの
「マメタン」という原付アメリカンバイクだった
今のようにスマホカメラがある訳でもなし、写真はほとんど残っていなかったが、
私の青春アルバムをひっくり返すと、
一枚だけポラロイドで写した愛機初代
「マメタン」の写真を見つけた
かなりピンぼけのフォトグラフ
それは
これ
スズキが産んだ、伝説の珍車
マメタン
私の記憶ではノーマルだとずっと思っていたが
な
な、なんと
ヨーロピアンウィンカーがついているではありませんか
プチ改造してたんですな
ただ、マメタンより
後ろに写ってる頭悪そうな3人の男達の方が目立ってます
あえて、どれが私かは言いませんが
このファッション・・
時代ですな・・
甚平 ですよ・・・
足元はビーサンや雪駄ではなく、女物の網サンダルを履くのが田舎ティディボーイのトレンドだった
そんで、バギーパンツに、エナメルのシューズ
くーーーっ
もしかしたら、首にはプカシェルをしているかもしれませんわ
ただ、愛車マメタンも暫く乗っていたが
アクセル全快でいいとこ60キロ
(原付法定速度は30キロです)
欲望とは底のないもの、
もっと速く という欲求が膨らんでくる
そう、だんだん物足りなくなってくるのです
そんな訳で16才の夏休みシコシコと教習所に通い、中型自動二輪免許を所得した
晴れて中免ライダーとなり、バイクを物色する訳だが
当時は バイクの(中型)選択肢が、今と違い少なかった
なおかつ、私の住む田舎町に、
おじさんが一人で営む小さなバイク屋はあれど、
中古のバイク専門店などはない
じゃあ、どこでバイクを手に入れるか? というと
当時(1980年)私の田舎町ではこんな図式があった
16歳: バイクに乗る
↓
17歳: もうすぐクルマだべよ、と、
そろそろバイクを降り始める奴が現われる
↓
18歳: 大急ぎで車の免許を取りに行く、高校在学中に取ればヒーローで、皆の足にされた
箱スカ、ケンメリ、セリカ、Z などが当時一般的
↓
19歳: シャコタンなんかにしたり、ピレリやスピードスター履かせたりドレスアップする。
カーコンポはロンサムカーボーイ、「ホリデーオート」は皆の愛読書
↓
20歳: そろそろサーファーになるか、と車にキャリアを付ける
車は赤いファミリアなんかに買い替える
(おかサーファーに変身)
当時代表的な 青年男子の年表
(おまえんとこだけだろ、という突っ込みはご容赦)
この年表の 17歳
バイクを降り始めるの・・の所が大事で、
この時の、先輩のお下がり的なバイクを譲ってもらうような形が一般的となるのだった。
当時の選択肢としては こんなバイク達があった
私の主観で紹介します。
ホンダ
CB400Four
↓
すでに絶販だったが。人気が根強く、
程度悪くても値段が下がらず。
ホークⅡ、Ⅲ
↓
ヨンフォアの後継機種ながら、けっこう
安い車体もあった (ボロいが)
ヤマハ
XJの中古まだ出ていない頃。
GXとかRDとかシブいバイクしかなく
400は対象外、50CCはパッソルや
ミニトレ、GR等が人気あった
スズキ
GS400E
↓
後期型はまだ高かった
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